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私自身は銀行のことを何も知らなかったんですが、銀行を目指していた学生の感覚では三菱などの財閥系はやっぱりステータスが高かった。
第一勧銀はスケールが大きいからということで、だんだん人気が上がってきた時代だったと思います。
銀行業界全体として、やはり就職は難しかったですか。
採用数は前後の年と比べても少ないので、それなりに難関だったと思います。
でもオイルショックの頃だから、喩えて言うと「銀行よ、さようなら。
証券よ、こんにちは」といった台詞が聞かれる時代で、証券業界が復活して、これからは直接金融の時代だと言われてました。
銀行全体としては、少し人気が下がる時代だったかもしれませんね。
とはいえ、大企業だし、ここに入ったら一生潰れないだろうなという安心感はあったでしょうね。
丸の内の本店(当時)から、おふくろに電話したんです。
「第一勧銀というところから内定もらったよ」って。
すると、まず聞かれたのは「寮や社宅はあるのか」と。
次に「銀行か」って聞くから、「銀行だ」。
「大きいのかい」、「大きいみたいだ」。
「だったらそこに決めなさい。それがお前の親孝行だ」と言われましてね。
おふくろがそんなに喜ぶのならそうしようと決めました。
いずれにしろ、成り行きで入ったようなものです。
最初に配属されたのは……。
大阪の梅田支店です。
大阪の駅前ですね。
どのくらいの規模の支店だったんですか。
その頃は「預貸三百億を目標」と言ってましたから、預金・貸出あわせて三百億円もなかったくらいの規模ですね。
合併七年目でしたけど、当時はパートさんなんかいないから、行員だけで百人くらいいる大所帯でしたね。
当時は「何とも女性が多い職場やなあ」と思いましたよ。
まだ業務をコンピュータ処理なんかしていなくて、ソロバンでやってたのですね。
そうです。
窓口にはでかいタイプライターみたいな機械が置かれ、後ろでソロバンをやってる。
なんであんなに人がいたんだろうと思うくらい、人海戦術でしたね。
父親がサラリーマンじゃなかったから、漫画で見た漠然としたイメージしかなかったんですが、サラリーマンっていうのは出社したら、自分の机があって、そこには花の一輪でも飾ってあって……何かそんなことを想像していたんです。
ところが、そんなの全然ない。
新人として挨拶しても、「じゃ、その辺に座っといて」とか言われて放って置かれた。
自分のソロバンもハサミも何もない。
あの頃から生存競争に晒されたんですね。
放置されているソロバンなんか全部取ってきて名前をつけて自分のものにするなんてことを、よくやってました。
女子行員とのつきあい新人教育は、どういうものだったんですか。
全部、女子行員から教えられるわけです。
今はそんな教育はやりませんが、当時は姑さんみたいな女の人がいて、この人が仕事の仕方を全部教えてくれるわけです。
おまけに合併してまだ数年だから、「第一の事務」と「勧銀の事務」両方のやり方が残っている。
事務手続きもきちんと整備されていなくて、女性の口伝で事務が伝承されていました。
私は事務手続きの教本を読んでいたものですから、女子行員から教えられる実務がことごとく違っていて、一々「違うよ」と言っちゃうわけです。
すると、相手はもう膨れてね。
「あんたみたいな人に何も教えないわよ」なんて言われました。
私は私で、「いつこの女を殴り飛ばしてやろうか」と、机の下で拳を固めていましたよ。
時間外になると、女子行員が帰って男だけの職場になるんです。
いじめられることもなくなって、さっぱりしてね、仕事も覚えられました。
女子行員とは険悪なままだったんですか。
ひとり一番きつい女性がいたんですが、その人が結婚すると聞いて、ガラス会社で働いていた友達に頼んで、段ボール箱いっぱい、一万円分のガラス食器を買い込んだんです。
地下に美人姉妹のいる喫茶店があったんですが、そこに食器を置かせてもらって、その人をお昼に呼び出したんですよ。
価がっちゃってね。
ふだん私をいじめてるもんだから、仕返しされると思ったんでしょう。
で、目の前に段ボール箱いっぱいのガラス食器を置いて、言いました。
「結婚するんだったら、これやるよ」って。
泣いちゃってね。
それ以来、女子行員たちからのいじめは一切なくなりました。
残業は当時も多かったんですか。
「この人たちは何か不正でもしてるんじゃないか」と思ったくらい、みんな残業してました。
梅田支店はターミナル店だったので、大阪の他の店よりかなり忙しかったし、トラブルも多い店だったので、残業は異常に多かった。
だから寮の中で私だけがいつも遅く帰っていたんです。
入行早々から終電で帰るような生活で、夕食は残っていないし、風呂はドロドロだし、さすがに「ひどいとこに入ったなあ」と思いました。
入行一週間目の土曜日に、課長代理が「君、新人だったね。
もう遅いから帰れよ」って言うんです。
もう夜の十時を過ぎてる。
他の若手行員はとっくに寮に帰って、通信教膏の勉強してるんだぞと腹が立ちましたね。
近くにあった安い寿司屋で三人前の折り詰めを作ってもらって、残っていた課長代理三人に「死ぬまで働いてください」とか何とか言って差し入れしました。
酔った勢いでね。
相手は何と寿司受け取って、「ありがとう」って。
営業へ外回りに出るのは、いつ頃からなんですか。
今は一年たったらもう即戦力で、すぐに外回りに出すんです。
大卒で入ると、人間関係も何も学ばずに、すぐに外に出て一人前みたいな感じになっちゃう。
でも、私はこういうやり方は良くないと思っています。
私が入行した当時は、「記帳方」とかそういう裏方の仕事を四年も五年もやって、それから「君、明日から貸し付けやりなさい」と言われたりする。
それまでの間、早く一人前の仕事をしたいと思うから、自分で勉強したり、銀行の中の人間関係を学んだりするわけです。
一生懸命やらないと、上司に抜擢してもらえないから。
私の場合、わりあい早く、入行一年後くらいから業務を学ばせてもらいました。
最初は普通預金から始めましたが、女子行員たちには散々叱られました。
それから為替に行ったら、為替の送信ミスばかりして、最初はひどいもんでした。
自分は細かい事務作業は向かないなと思って、今度は上司に名乗り出て窓口業務に就かせてもらいました。
ひとつだけ窓口ブースが空いていたので、テラーズマシン(窓口係用現金出納機)という、喫茶店のレジみたいな機械を一台倉庫から出してきて、自分で窓口をこしらえて座ったんです。
ところが窓口のシャッターが開いても、私のところには誰も来てくれない。
ベテランの先輩のとこばかりに行くわけですよ。
まだ番号札なんかなかったから。
お客さんは、それぞれ自分の気に入った人のところに行ってしまう。
私は急に窓口に出たから自分のお客さんがいるわけじゃない。
仕方がないんで、お客さんを呼び込もうと思って、ドアが開いた瞬間に「いらっしゃいませ!」って大きな声を出したんです。
お客さんの耳が壊れるくらいの大ききで。
お客さんは来てくれましたか。
いや、ワーツと逃げられましたね。
「おい、ここは銀行だろう。魚屋じゃねえだろう」とか言われてね。
とにかく全然来てくれない。
しかも、初日から五十万円間違ったりしました。
後ろから課長代理が「おい江上、おまえ終わったか。計算は合ったか」と聞くので「合いません」と。
「いくら合わないんだ」っていうから、「五十万円ほど余ってますよ」なんて気楽な顔して言いました。
そしたらみんな大慌てで顔色が変わった。
その日に受けた件数といったら、わずか数十件しかなかったのにね。
窓口は、以前はベテラン行員の仕事でしたよね。
がん保険のこのような段階でどんながん保険の題材に取り組ませておけばよいしょうか。
がん保険にはオプションはついていないので、がん保険が欲しければ別に利用する必要がある。
もちろんここでうまいがん保険の説明ができれば、がん保険について伝わるのですからそれに越したことはありません。
しかし医療保険に用いるならば、かなり医療保険を砕かなくてはいけません。
医療保険なら、みんなが選んでる医療保険サイトにお任せ下さい。
医療保険は便利だが、使う時間が短いので医療保険のコストが気になります。
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